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【2024】3時間で奈良観光できる?薬師寺→唐招提寺がおすすめ

奈良観光3時間

奈良中心部の有名な観光地を訪れたけれど、滞在時間が短いので駆け足で回りたくはないと思う方もいるでしょう。今回は、3時間でじっくりと拝観ができる「薬師寺」と「唐招提寺」を紹介します。

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「薬師寺」と「唐招提寺」は西ノ京エリアと呼ばれる場所にあります。平城京の西端に位置していることから「西ノ京」と呼ばれています。「薬師寺」と「唐招提寺」に一歩足を踏み入れるとかつて平城京があったころの雰囲気を感じられます。

両寺院とも10分ほどで行き来ができるため、どちらから訪れていただいても楽しむことができます。近鉄線で訪れる場合は西ノ京駅からほど近い薬師寺、そのあと唐招提寺へ向かう方が比較的多いでしょう。3時間あればじっくりと拝観できるスポットとなっています。

目次

3時間の奈良観光スポット①:薬師寺

薬師寺

画像引用元:写真AC

薬師寺は、近鉄西ノ京駅東出口から歩いてすぐの場所にあります。奈良・興福寺と並ぶ日本に現存する最古の宗派「法相宗」の大本山です。

薬師寺は飛鳥に都があった頃、天智天皇が皇后の病気平癒を祈念して発願したのが起源とされています。当初は藤原京で建立されましたが、710年の平城京遷都とともに現在の場所に建立されました。

973年の大火、1528年の兵火で東塔以外の大半が消失しました。江戸時代に入ると仮金堂や仮講堂が建て直されましたが、建立当初の華々しさはなかったようです。以降、第二次大戦後までは、江戸時代と変わらぬ様相だったとされています。

高度経済成長期、高田好胤管主による百万巻の写経納経による金堂の復興はとても有名です。金堂(1976年)の復興を契機として、西塔、(1981年)、中門(1984年)、回廊(1991年)、大講堂(2003年)、食堂(2017年)が再建されました。

また、2009年より大規模な解体修理を行っていた東塔も2023年4月に完了しました。ようやく「龍宮造(りゅうぐうづくり)」とよばれる、1528年以前の美しい白鳳伽藍をほぼ取り戻すことができました。

薬師寺は、高田好胤管主の話術を受け継ぐお坊さんたちがとてもおもしろいことで有名です。SNSでも取り上げられるほどで、法話など話が聞ける機会あれば、ぜひ聞いてみてください。

過去には音楽イベントや刀剣乱舞のイベントなども行われました。薬師寺は日々新しい取り組みなどを積極的に行っているため、今後も面白い企画がされるかもしれません。

施設名薬師寺
住所奈良市西ノ京町457
電話番号0742-33-6001
拝観時間8:30~17:00(受付は16:30までです)
拝観料大人・大学生:1100円
中高生:700円
小学生:300円
団体・身障割引あり
※特別展は上記の拝観料に加えて別途料金がかかります
定休日年中無休
アクセス近鉄西ノ京駅から徒歩約3分
ホームページhttps://yakushiji.or.jp/

薬師寺の見るべきスポットは次のとおりです。

  • 金堂
  • 大講堂
  • 東院堂
  • 西塔
  • 東塔
  • 玄奘三蔵院伽藍
  • 休ヶ岡八幡宮
  • 孫太郎稲荷神社
  • 大池

金堂

金堂

画像引用元:薬師寺

金堂は、お寺の中心といえる場所です。一般的なお寺では本堂や仏殿と呼ばれたりもします。薬師寺においても、金堂は中心的、そして特別な建物といえます。

復興に10億円かかるとされた金堂。高度成長期「おもしろいお坊さん」で有名な高田好胤管主のもと、薬師寺では百万巻写経勧進(当時1,000円)がなされ、見事再建されました。

創建当初からお祀りされている国宝の薬師三尊像が安置されています。中央に「薬師如来」、向かって右に「日光菩薩」、左に「月光菩薩」が安置されています。

薬師如来は名前や左手に薬壺をもっていることからもわかるように、病気平癒の仏様です。日光菩薩は太陽のようにふりそそぐ光明で人々を苦しみから救います。月光菩薩はやさしい月の光で人々のあらゆる悩みから救います。

薬師如来が医者で、日光菩薩と月光菩薩は看護師のような存在と表されることもあります。24時間私たちを病気から見守ってくれているのが薬師三尊像なのです。

ずっと眺めていられるほどの迫力と美しさを兼ね備えた薬師寺の薬師三尊像は、和辻哲郎が「とろけるような美しさ」と評するほどです。裏に回って台座に注目してください。遠くギリシャからシルクロードを経由して、日本へ文化が伝わってきた様子が描かれています。

正月のみ「吉祥天女画像」も公開され、限定の吉祥天女の熊手も販売されます。吉祥天女は毘沙門天の妻で、「金運上昇」や「家内安全」など人々に福徳を与える神様です。財運の神様の弁財天とよく似ていますが別の神様です。

大講堂

大講堂

画像引用元:薬師寺

大講堂は、薬師寺の宗派である法相宗の教え「唯識」を学ぶ場所です。唯識の教主である弥勒如来が大講堂のご本尊です。

唯識(ゆいしき)とは、大乗仏教の思想の1つで、私たちが経験する現象は、私たちの心の内側から創り出されるものであり、心の外にはない。世界の存在はすべて心によって生じるとする考え方です。

通常であれば金堂が一番大きな建物となるのですが、薬師寺では講堂が大きいことが特徴です。重要文化財の弥勒三尊像が安置されています。仏像がつくられる以前の信仰対象だった仏足石も見ることができます。

2003年の大講堂落慶に合わせて、お釈迦様の弟子の中でも特に優れた釈迦十大弟子像も安置されました。

東院堂

東院堂

画像引用元:薬師寺

東院堂は東塔の東に位置し、吉備内親王が元明天皇の冥福を祈って建立されました。非常に落ち着いた建物ですが国宝です。

聖観世音菩薩像と四天王立像が安置されています。観世音菩薩といえば千手観世音菩薩や十一面観世音菩薩などがおられますが、変身しない本当のお姿という意味で、「聖」観世音菩薩と呼ばれます。

定かではありませんが、聖観世音菩薩は中大兄皇子(のちの天智天皇)の従兄弟にあたる有間皇子をモデルにしたともいわれています。有間皇子は政争に巻き込まれ、非業の死をとげた皇子です。

四天王は古代インドの神が、仏教に守護神として取り入れられたとされています。東から持国天、南・増長天、西・広目天、北・多聞天と配置されています。

西塔

西塔

画像引用元:薬師寺

塔は1981年に再建されました。朱塗りで東塔より少し高いのが特徴的です。少し遠くから眺めてみると西塔のほうが高く見えるのがわかると思います。

西塔を高く再建しているのは、文献等によるものではありません。実は木材が収縮して、100年後には東塔と同じ高さになるように宮大工が設計しているのです。

東塔

東塔

画像引用元:薬師寺

東塔は薬師寺創建当初から、現存する貴重な建築物です。アメリカの東洋美術評論家アーネスト・フェノロサが「凍れる音楽」とたたえたことでも有名です。

六重に見えますが裳階(もこし)とよばれるひさしがついており、実際は三重塔です。バランスの取れたリズミカルな建築美が「凍れる音楽」と表現されたのかもしれません。

日本のお寺の塔は登るために建築されていません。お寺の塔にはお釈迦様(ブッダ)の遺骨が収められています。仏舎利塔(仏塔)や卒塔婆(ストゥーパ)が、中国や日本では高層の塔になったと考えられています。

東塔と西塔にはブッダの生涯を8つの場面を表した塑像がそれぞれ4つずつありましたが、欠損が激しく、今回の解体修理完了とともにブロンズ像が収められました。

塔の屋根からてっぺんにのびる金属部分は相輪と呼ばれます。相輪の頂上付近に火炎をあしらった「水煙」というものが施されています。木造の建築物で火炎は忌み嫌われるため、水煙という名前が付けられています。

薬師寺の水煙には笛を吹きながら踊る奏楽天人、花籠を捧げる天人、蓮のつぼみを捧げ持ちながら降りてくる天人など、躍動的な24体の飛天の美しい彫刻がつけられています。

※2023年4月28日(金)~2024年1月15日(月)まで東塔の落慶記念として国宝東塔初層内ならびに西塔初層内 中村晋也作「釈迦八相像(東塔因相・西塔果相)」を一般公開しています。

玄奘三蔵院伽藍

玄奘三蔵院伽藍

画像引用元:薬師寺

道路を挟んで北側に位置するのが玄奘三蔵院伽藍です。玄奘三蔵とは中国・唐時代の僧侶で、西遊記の三蔵法師のモデルとなった人物とされています。

玄奘三蔵は天竺(インド)のナーランダ僧院へ、中国へ経典を持ち帰る求法の旅へと出かけました。唯識を究めること。唯識(ゆいしき)とは、大乗仏教の思想の1つで、世界の存在はすべて心によって生じるとする考え方です。この考えを基に開かれたのが法相宗です。

なぜ薬師寺と玄奘三蔵につながりがあるのかというと、薬師寺は法相宗の大本山であり、法相宗を開基した慈恩大師基は玄奘三蔵の弟子だからです。

玄奘塔には玄奘三蔵像が安置されています。また、玄奘三蔵の頭骨の一部が収められています。

行方不明となっていた玄奘三蔵の遺骨は日中戦時に旧日本軍に発見され、一部をさいたま市の慈恩寺にて保管することとなりました。薬師寺では慈恩寺から分骨された玄奘の頭頂骨の一部が収められています。

平山郁夫が30年かけて描いた「大唐西域壁画」が奉納されています。全長49mある圧巻の玄奘三蔵がシルクロードを旅した様子の大壁画は見る価値があります。

休ヶ岡八幡宮

休ヶ岡八幡宮

画像引用元:薬師寺

休ヶ岡八幡宮は、薬師寺の南門を抜けた場所にあります。電車やバスを使った場合、唐招提寺向かう逆のルートとなるため、多くの方はあまり足を運びません。

休ヶ岡八幡宮は、寛平年間(889〜898)に大分県の宇佐八幡宮から勧請されたもので、地名の「休ヶ岡」は古代に八幡大神が一時休息した場所とされています。

古文書『今昔物語集』には、薬師寺の金堂を火災から救ったという記述も見られます。現在の社殿は、1603年に豊臣秀頼の寄進により建築され、独特の建築様式を持つ歴史的価値の高い建物です。

また、薬師寺の主要な行事の際には、守護を求めるため八幡宮に参拝することが慣例となっています。休ヶ岡八幡宮の祭りには、薬師寺の僧侶が参加し、読経が行われるなどの伝統的な儀式が続けられています。

祭神として祀られている僧形八幡神は、神仏習合を象徴する特別な像で、その周りに神功皇后と仲津姫命です。この神像は、木彫りとしては最も古い部類に入り、細やかな彫刻技術が施された価値あるものとなっています。

※現在は奈良国立博物館に寄託されています。

施設名休ヶ岡八幡宮
住所奈良市西ノ京町457
電話番号0742-33-6001
定休日年中無休
アクセス近鉄西ノ京駅から徒歩約6分

孫太郎稲荷神社

孫太郎稲荷神社

画像引用元:写真AC

薬師寺の駐車場から歩いて参道を進むと、「孫太郎稲荷神社(まごたろう)」が目の前に広がります。この神社は、薬師寺の鎮守である休ヶ丘八幡宮の末社として位置づけられており、元々は江戸時代初期に兵庫県の姫路から移されてきたといわれています。

さらに起源をたどると、栃木県にさかのぼります。 平安時代中期、藤原頼行によって、栃木県佐野市にて建立されました。「孫太郎」という社名は、長い間この神社を守護してきた藤原頼行公の子孫、佐野家の「佐野孫太郎義綱」に由来しています。

経緯や時代はわかりませんがその分霊が姫路の城下に安置されていました。 江戸時代の初め、姫路城の貯蔵所から多数の小判(米倉から米との話も)が失われ、一方で町の貧しい民家に小判が見つかるという事件が起きました。

城主はこれを孫太郎稲荷の神通力とし、別の場所へ移すことを考えました。そこで京都の刀鍛冶が仲介役となり、神社は現在の地に移されました。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という女神が祀られています。

施設名孫太郎稲荷神社
住所奈良県奈良市西ノ京町409-1
電話番号0742-33-6001
定休日年中無休
アクセス近鉄西ノ京駅から徒歩約分

大池

大池

画像引用元:薬師寺

万葉集や枕草子にも記されている勝間田池とされる池です。近鉄西ノ京駅から南西に位置します。大池越しに映る薬師寺の映像や写真を見たことが、ある方も多いのではないでしょうか?

奈良県景観資産にも登録されており、撮影ポイントとして立ち寄ってもらいたい場所です。薬師寺はもちろん若草山や春日山まで見ることができます。ゆっくりと池のまわりを歩くのもおすすめです。

2023年現在は東塔の大修理も終えたので、完全な状態で薬師寺を見ることができます。時間が許すのであれば、ぜひ訪れて撮影をしてみてください。早朝もしくは夕暮れ時が特におすすめです。

3時間の奈良観光スポット②:唐招提寺

唐招提寺

画像引用元:写真AC

唐招提寺は近鉄西ノ京駅や薬師寺から、北へ10分ほど歩くと到着します。南大門をくぐると空にそそりたつ甍(いらか)が印象的な金堂が目に飛び込んできます。朱塗りが鮮やかな薬師寺のような華やかさはありませんが、唐招提寺の醸し出す落ち着いた空気感が好きな人も多くいるようです。

唐招提寺の開基は鑑真(がんじん)和上です。歴史の授業で習った記憶があるのではないでしょうか?

自らの弟子たちに日本へ向かう者はいないか問うてみたものの、自ら志願する者はあらわれませんでした。そして、見かねた鑑真は自ら日本へ向かうこととなりました。753年、5度にわたる難破や妨害による渡航の失敗や失明を経験し、ようやく6度目の航海で薩摩(鹿児島県)に到着しました。

翌754年に平城京へ入京し、東大寺大仏殿前に戒壇を設け、聖武天皇以下に戒を授けます。しばらくは東大寺の戒壇院で戒律を授けていましたが、新田部親王の旧邸を譲り受け

ました。この旧邸が現在の唐招提寺の地です。

なぜ、遠く唐(中国)から鑑真を招聘することになったのでしょう?当時、日本では正規の授戒制度が確立されておらず、資格を持たない人々が私的に出家し始めました。これにより税金や労役の義務を逃れる者が増え、社会問題となったのです。

この問題を解決するため、聖武天皇の指示で唐へ留学していた僧侶、普照と栄叡が、真の戒律を伝える師を日本へ招くことを強く願いました。結果、鑑真和上が正式な戒律を伝えるために唐(中国)から日本へ渡来することとなったのです。

コロナ禍、中国への医療支援物資で話題になった「山川異域、風月同天。寄諸仏子、共結来」という短歌をご存知でしょうか?

「中国と日本に同じ山川はない。しかしながら風も月も同じものだ。まことにこれ仏法興隆に有縁の国なり」天武天皇の孫である長屋王が、唐に送った千着の袈裟に刺繍した言葉です。この歌を詠んで鑑真和上は日本へ向かう決意をしたといわれています。

現在の唐招提寺には、多くの堂舎、仏像、工芸品など信仰から生まれた文化遺産が残っています。境内に存在する金堂、講堂、経蔵、宝蔵の四つの建物は、他に例を見ない​​奈良時代の貴重な建物です。中でも、「天平の甍」として名高い金堂は、2000年から約10年かけて解体修理が行われ、2009年の秋にその美しさを再び世に示すこととなりました。

唐招提寺内の売店のみで販売されている「鑑真香※一人2つまで。」2,500円(税込)やハート型宝扇1,000円(税込)はおみやげにおすすめです。

施設名唐招提寺
住所奈良市五条町13-46
電話番号0742-33-7900
拝観時間8:30~17:00(受付は16:30まで)
拝観料大人・大学生:1,000円
中高生:400円
小学生:200円
団体・身障割引あり
※特別展は上記の拝観料に加えて別途料金がかかります
定休日年中無休
アクセス近鉄西ノ京駅から徒歩約10分
ホームページhttps://toshodaiji.jp/

唐招提寺の見るべきスポットは次のとおりです。

  • 南大門
  • 金堂
  • 講堂
  • 鼓楼
  • 礼堂
  • 御影堂
  • 経蔵
  • 宝蔵
  • 新宝蔵
  • 戒壇
  • 開山御廟
  • 松尾芭蕉句碑
  • 中興堂
  • 開山堂
  • 西ノ京みやげ処きとら

南大門

南大門

画像引用元:唐招提寺

唐招提寺を訪れた人がまず目にする建造物です。1960年に再建されました。

天平時代を感じられる門のつくりとなっています。現在掲げられている扁額は複製で、実物は新宝蔵に収蔵されています。

金堂

金堂

画像引用元:唐招提寺

南大門をくぐると正面に金堂が見えてきます。唐招提寺においても金堂は中心的な建物となります。

8世紀後半の創建時の姿をした金堂は、8本のエンタシスの柱と屋根の上の両側にある鴟尾(しび)が特徴的です。ギリシャのパルテノン神殿のような雰囲気と屋根は空に向かって羽を広げた鳥のような雄大さを感じさせてくれます。

中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像、それらを守るように梵天・帝釈天立像、四天王立像といった創建当時の仏像が並んでいます。いずれも国宝の仏像です。

講堂

講堂

画像引用元:唐招提寺

講堂は760年初めに平城宮に建っていた東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、開放的な空間となっています。

外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の修理で鎌倉建築風に改められました。現存する平城宮の唯一の遺構としてきわめて貴重な存在とされています。

内部には、本尊弥勒如来坐像の左右に持国天、増長天立像が配置されています。また、その他、多くの仏像が安置されています。

鼓楼

鼓楼

画像引用元:唐招提寺

金堂・講堂の中間東側の2階建ての建物は、鎌倉時代に鼓楼として再建されました。鼓楼とは太鼓を鳴らして時を知らせる建物です。

名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」となっています。外観は、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられています。

白瑠璃舎利壺(はくるりしゃりこつぼ)とそれをつつむ方円彩糸花網(ほうえんさいしかもう)、そして金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。白瑠璃舎利壺は鑑真和上がお釈迦様の遺骨である如来舎利三千粒(にょらいしゃりさんぜんりゅう)を収めるために持ってきた舎利壺です。

金亀舎利塔は亀形の台座に鑑真和上が、日本への渡海の際に沈んだ舎利を亀が背にして浮かび上がってきたというエピソードをもとに造られました。亀形の台座の上に白瑠璃舎利壺を収められるしつらえになっています。同エピソードから、唐招提寺の鎮守社、水鏡天神社(みずかがみてんじんじゃ)も建立されています。

また、鼓楼では毎年5月19日に梵網会(ぼんもうえ)通称「うちわまき」とよばれる行事が行われます。これは、鎌倉時代に唐招提寺を復興した覚盛(かくじょう)上人を偲んで行われる行事です。

鼓楼の上から数百本のハート型のうちわ(奈良時代の女性が持っている扇をイメージ)が撒かれます。うちわを撒くようになったのには、とある逸話があります。

ある日、修行中の覚盛上人が座禅をしているときに、蚊にさされそうになったのを見ていた弟子の僧が、その蚊を叩こうとしました。すると、上人は「生きとし生けるものは、何らかの施しで支えられている。蚊に自分の血を与えるのも菩薩行である」と言われたと伝わっています。

そして、覚盛上人が亡くなった後その徳をたたえ、教えを守るということで尼僧たちから「せめてこの団扇で蚊を追い払ってください」と霊前に供え、参拝に来られた人たちに授けるようになり、いつしか覚盛上人の命日に行われるようになったのが、この「うちわまき」の由来です。

礼堂

礼堂

画像引用元:唐招提寺

かつては多くの僧が起居した僧房として使われていました。礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像、日供舎利塔を安置しています。

毎年10月21~23日の釈迦念仏会(しゃかねんぶつえ)に合わせて、内部公開がされます。この期間のみ特別に釈迦如来立像、日供舎利塔、そして鼓楼に安置されている金亀舎利塔を見ることができます。

御影堂

御影堂

画像引用元:唐招提寺

御影堂は境内の北側の土塀に囲まれた場所にあります。1964年に移築復元されました。かつて興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構です。明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われました。

現在は国宝の鑑真和上坐像が奉安されており、1971年から1982年にかけて東山魁夷画伯(ひがしやまかいい)による、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められています。鑑真和上坐像は鑑真の弟子たちが没後まもなく作らせたもので、晩年の姿をよく表しているとされています。

普段は非公開となっており、6月5〜7日の3日間の開山忌のみの拝観となります。

経蔵

経蔵

画像引用元:唐招提寺

礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、小さいほうが経蔵です。唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物です。東大寺の正倉院よりも更に古い、日本最古の校倉造建築とされる貴重な建造物です。

宝蔵

宝蔵

画像引用元:唐招提寺

唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵です。経蔵より一回り大きく作られていることが特徴です。

新宝蔵

新宝蔵

画像引用元:唐招提寺

1970年に建てられた鉄筋コンクリートの唐招提寺の文化財を収蔵する展示施設です。唐招提寺のトルソーとよばれる木造如来形立像を含め、奈良時代末に作られた旧講堂の木彫群という多くの彫像が展示されています。

また、新宝蔵には平成の大修理まで唐招提寺金堂の屋根に飾られていた一対の鴟尾があります。その中で、左側(金堂の西側)の鴟尾は奈良時代のもので、「天平の甍」とも称されます。一方、右側の鴟尾は鎌倉時代の制作です。

元々「天平の甍」は右側(金堂の東側)に設置されていたのですが、割れ目が生じたことで、視界から隠すために左側に移されたという話もあります。

孝謙天皇による「唐招提寺」と書かれた扁額が展示されています。春と秋の特別公開にしか入れないので、機会があれば見学されることをおすすめします。

戒壇

戒壇

画像引用元:唐招提寺

金堂の西側にあるのが戒壇です。戒壇は僧侶となるための授戒が行われる場所です。

現在は石壇のみとなり、建物はありません。石壇の上にインドのサンチーにある最古の仏塔を模した宝塔が1978年に築かれています。

開山御廟

開山御廟

画像引用元:唐招提寺

境内の北東に鑑真和上の墓所があります。参道の苔庭がすばらしく、静寂に包まれた場所です。御廟の前には和上の故郷・揚州から寄贈された瓊花(けいか)が栽培されています。初夏には瓊花と池に咲く蓮の花を見ることができます。

御廟左に井上靖「天平の甍」の文学碑、右に中国仏教協会会長の「趙樸初居士之碑」との詩があります。現在でも多くの方がお参りに来られています。

松尾芭蕉句碑

松尾芭蕉句碑

画像引用元:唐招提寺

1688年に俳句で有名な松尾芭蕉も唐招提寺を訪れています。鑑真和上坐像を拝した際に「若葉して 御目の雫 拭はばや」と芭蕉が詠んだ句が刻まれています。

現代語訳すると「みずみずしい若葉で、盲目の鑑真上人の御目もとの雫を、拭ってさしあげたい」となります。芭蕉の思いやる気持ちが俳句に込められています。

中興堂

中興堂

画像引用元:唐招提寺

中興堂は、唐招提寺中興の祖・覚盛上人の1999年に没後750回忌を記念して建てられた祖師堂です。祖師堂とは歴代の住持の像などを安置している場所です。覚盛上人坐像の他に、昭和の中興とも言われている第81世森本孝順長老坐像も安置されています。

開山堂

開山堂

画像引用元:唐招提寺

開山堂は、徳川綱吉の時代に徳川家の先代たちを祀るための御霊殿として建てられました。しかし、明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を収めるため、現在の場所に移築されました。

国宝に指定される和上像が御影堂へ移動した後は、本願殿と名称を変えて覚盛上人、聖武天皇、徳川家康の坐像が祀られていました。

時の経過とともに老朽化が進み御影堂が改修されることになりました。その改修前の2013年「御身代わり像(おみがわりぞう)」が本願殿に安置され、再び開山堂という名称とされました。

西ノ京みやげ処きとら

西ノ京みやげ処きとら

画像引用元:西の京みやげ処きとら

唐招提寺の駐車場横にあるおみやげ屋さんです。人気の白雪ふきんのラインナップも充実しており、奈良のおみやげが揃います。西ノ京エリアを最後に奈良を離れるのであれば、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

カフェ処きとらも併設されているので、散策中の休憩場所としても利用できます。

施設名西の京みやげ処きとら
住所奈良県奈良市五条町12-396番地 (唐招提寺駐車場西隣
電話番号​​0742-35-3324
営業時間10:00~16:00
定休日不定休(※年に2回棚卸し休業日有)
只今多くの休業日を設けております。
お電話でお問い合わせください
アクセス近鉄西ノ京駅から徒歩約10分
ホームページhttps://www.miyage-kitora.com/information

まとめ

3時間で巡れる奈良の観光スポット薬師寺と唐招提寺を紹介しました。薬師寺と唐招提寺、境内に一歩踏み入れると平城京があった時代にタイムスリップしたような感覚に包まれます。

力強い大きな建物と安置されている仏像との調和が、とても素晴らしく感じられます。3時間ほど時間が許すなら、西ノ京エリアを選んでみてはいかがでしょうか?

目次